オレンヂ・恵比寿

今日も目立たなくって、いいねえ。

「不安」

この頃、一度浮かんでしまうと頭から離れなくなる考えがある。

「不安」

いつも私の頭に長時間居座っては、私の内臓たちに一つ一つ文句を言ってから出て行く。

お陰様でいつでも体調が悪い。顔面も蒼白だ。

今日も彼が私の頭に訪問してから、かなりの時間が経つ。彼はずっと出て行かない。

彼はまたイチャモンをつける。「お前の腸ってのはどうしてこんなに色が悪いンだ?!ストレスだと?そんなものは甘えだ。さっさと動けこのノロマども!」

彼には私もうんざりしている。対処法だって、向こうが得体の知れないものなのだからハッキリしない。

そもそも、不安というものは"分からない"から来るものであり、恐怖とは似て異なる様な概念だ。

対象人物が害を及ぼす事などが"分かって"いるのならば、それは不安ではなく、「恐怖」に値すると言えるだろう。

恐怖への訪れには殆ど屈しない。しつこく大脳のドアをノックする事もない。

問題は、対象人物について"分からない"ことがある、"全くもって何もかもが分からない"場合である。

 

・確かに人間の形をしているのに、何かが決定的に違う。

・今まで遭遇したことのない形状の物質だ。

・誰であるかすらも分からない人間が、何かを絶えず叫びながらずっと自分を追い続ける。

 

挙げているとキリがない程に考えうる例はある。これらには、いずれにせよ、何かしら"分からない"ことがあるだろう。

ただ言えるのは、うんざりこそしているが、この感覚は嫌いではないという事。

自分でもどうしてそうなるのかは、"分からない"。

しばしばこの状態に陥る時、寧ろ落ち着く場合がある。

「不安」という言葉自体にどこか[懐かしさ]なるものを覚えている(支離滅裂な様に思えるだろうが、実際そう感じているのだから仕方がない。これ以上説明のしようもない)。

 

そうして、何もかもが"分からない"懐かしさに五臓六腑を覆われたまま微睡む意識にこんがらがったまま私は眠る。

「不安」は私の揺りかごだ。

自分好みの、不安定で変則的なリズムで、不明瞭な言葉を口走りながら、不穏な旋律を奏でる。

そうしている間にも、私の意識はどんどん混沌の深みへと沈む。ズブズブズブズブと沈み続ける。

 

 

おやすみなさい。明日も良い一日を。